一角獣の目

忘れないための日記帳

陽はさらさらと照らすもの

  テレビで中原中也を取り上げていた。

  私が中也の詩を初めて読んだのは中学生の時だった。学校の図書室で詩集を見つけ、そういえばこの人はここいらの出身なんだっけ、という軽い動機で読み始めた。小学生の頃同じ動機で金子みすゞも読んでいた。

「サーカス」や「汚れつちまつた悲しみに……」はNHKにほんごであそぼで見て知っていた。それ以外の詩を読むのは初めてだった。「山羊の歌」の冒頭に「春の日の夕暮」という詩があった。

 

       トタンがセンベイ食べて
       春の日の夕暮は静かです
       アンダースローされた灰が蒼ざめて
       春の日の夕暮は静かです

  この書き出しに衝撃を受けたのだった。な、なんだ?  トタンがセンベイ食べるってどういうことだ?  なんなんだこの不思議な言葉遣いは?  意味はわからないけれどとても新鮮なものに感じられて、何より声に出した時のリズミカルな感じがとても好きだった。影響を受けて、一時期私も詩を書いていたことがあった。しかし高校生になってからはそういう行為が妙に恥ずかしくなり、一人で物を書くこともなくなった。

  ふたたび中也の詩を読んだのは大学を休学してからだった。地元に帰ってきて、中也記念館に足を運ぶことが何度かあった。記念館の展示は、中也が詠んだ短歌から始まる。

 
       人みなを 殺してみたき我が心
       その心我に神を示せり
 
  この一句に心を掴まれて、いま私はふたたび詩を書き短歌を詠んでいる。どこへ発表するでもないけれど。いろんなものを言語化できる人間に憧れている。