一角獣の目

忘れないための日記帳

こころは目に見えぬもの、されど

 近々誕生日を迎える友人がいて、その人のために親しい仲間内でサプライズの計画を立てたりしているのだけど、私はその人に出会ってから現在に至るまでたいへんお世話になっているため、全体のプレゼントとは別に個人的なプレゼントを求めて電車で少しだけ遠出した。

 昔から電車に乗るのは好きで、車体が線路の上をなぞってゆく小気味よい音を聞きながら本を読む。カラフルなペンキをぶっ掛けられて第二の人生を歩んでいる他地域からのお下がり車両とすれ違うたび、本の見開きが赤や黄色に染まるのがきれいだなと思った。数年ぶりに降車した駅から、歩いて五分ほどのところにあるショッピングモールへ向かう。

 思えば昨年は自分のことで精いっぱいで、人に何かをあげる余裕がほとんどなかった。友達や恋人へ誕生日にプレゼントを贈ったことはあったけど、じっくり時間をかけて選んだとっておきのものを、というようなことはあまりできなかった。ここ最近では心も時間もゆとりができて、自分に常日頃付き纏う浪費癖についても真剣に考えるようになってきたのはいい傾向だと思う。そして自分自身が満たされてくると、日頃お世話になっている人に何かできないかと考えるようになる。

 何かできないかと考えはするものの、人への贈り物を選ぶのは楽しくても少し苦手で、「自分はこれをもらったらうれしいけど、あの人はあまりうれしくないかもしれない」「自分の趣味を押し付けているような気がする」「ちょうどいい価格帯はどのあたりだろうか」といったような独り言が、陳列されたさまざまな商品を見ながら頭のあちこちに浮かんでは脳味噌を埋め尽くしてゆき、いつも雑貨店内を何周もすることになってしまう。今日も室内用プラネタリウムやきれいな魚の図鑑や自分のお気に入りの詩集や、そういったものを眺めながらあれでもないこれでもないと悩みに悩んで、ふと立ち止まった棚に並んでいた写真フレームに引き寄せられ、そういえばあの人は少し前にデジタルカメラを購入したと言っていたなということを思い出し、シンプルなフレームの写真立てを掴んでまっすぐレジへ向かった。その店が無料でラッピングサービスを提供していることは悩みながら店内を巡回している中で見かけた手書きポップで知っていたのでそれもお願いし、茶色い袋で包装されたそれを受け取って店を出た。

 帰りの電車に揺られながら、なんだかすがすがしい気分だった。同窓会にも成人式にも行かなかったけれど、会いたい友達には会うことができるのだ。それでいいのかも、なんて少しだけ肩が軽くなった気がして、こよなく嬉しくなるのだった。