一角獣の目

忘れないための日記帳

とうめい

 久しぶりにこのブログやTwitterの投稿を見返してみて、たった数か月前のことなのに、別の人の記憶を覗いているみたいな心地がする。

 以前のわたしは、死ぬことを異様に怖がっていた。家族とか学校とかに疲れて、生きることを止めたいって思っていたけど、かといって死ぬことができるわけでもなかった。わたしが出会う人はみんな、いつかもれなく死んでしまうんだと思うと、ある日突然隕石か何かが地球に満遍なく降り注いで、みんないっしょに絶滅してしまった方が楽だとか考えていた。この世界を見るわたしがいなくなることがとんでもなくおそろしかった。幽霊とかお化けとかあの世とかまったく信じていなかったけど、幽霊になって世界に留まることができる保証がつくまで死にたくないって本気で思っていた。ずっとずっと、色んなものを見ていたいし、色んなことを考えたいと思っていた。死にたくないから仕方なく生きている、みたいな状況だった。

 今でもできれば死にたくない。できれば、永遠に感覚してたい。でもまあ無理かなあって受け入れられるようにはなってきた。だって、わたしの好きな作家とか詩人とか音楽家とか、もれなく死んでるし。

「わたしが死んだ」ってことはどうやったって感覚できない。それを感覚する「わたし」はもう死んでるから。それってすごくおもしろいことだなって思えるようになってきた。できれば感覚してみたいけど、幽霊にでもならないと無理だから。

 なんていうか、前よりもちゃらんぽらんになった気がするのは否めない。でも、そういう今の方が生きるのが楽しいので、それでいい気もする。他人にどう思われても、わたしが見ている世界はわたしによっていくらでも変えることができるし、他人にとっては地獄の底でも、わたしの考え方さえ変えてしまえばそこは天国になる。それでいいかなって思う。自分の脳みそを信じて生きたい。